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飛びのったら行き先ちがう
愛が暴走中、爆弾は投下された。
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這い上がろうと、もがいてももがいても沈むばかりだった。
水が満ちる。





 聖、と村紗は呼ぶ。白蓮は手元の本から視線を移して本人を見る。常々その透き通った黒曜石のような瞳が村紗は好きだと思うのだ。
 開いた距離を詰め、存外に細くうすい肩に服越しから触れる。途端にふぅわり漂う香りを村紗は愉しんだ。とても気分がいい。なにかがひたりと満ちる気がした。
 腕を首にまわす。肩に今度は顎を載せる。抵抗はない。強く引き寄せる。一層深くなった香りを胸に溜める。溺れている錯覚に陥った。遠い昔に体験したものとは違う、ひどく甘い溺死。どうしたのとうかがう視線を感じた。村紗はようやく口を開く。

「なにを読んでいるのですか」
「借り物です。書名は…」
「ああ、あの賢将からですね」
「なかなかに面白いから、と」

 そう言って白蓮は照れたように笑った。花のような笑顔だ。それはたまらなく愛しいものだと村紗は知っている。またひたり、ひたりと満ちる。息苦しさが生まれた。それに村紗はまだ気付かない。
 覗きこんだ本の文を少しだけ読み、そうして先ほど聞きそびれた本の名前に気付く。ああ、これなら、と心内に呟く。数百年前といった頃合いに読んだことを覚えている。

「流石賢将と言った所かな。私もこれは面白いと思っていたのです」
「それはそれは。存外に気が合うやもしれませんね、貴方たちは」
「それは…多分ないでしょう。……どうにも、あの賢将は苦手で」

 白蓮はその言葉に、驚いたような、ほぅとした息を洩らす。村紗は明るく社交的で、基本的に誰とも打ち解けられる。その村紗が苦手とする相手がいるという事実に白蓮は驚いた。相手がナズーリンである所は問題ではない。
 少し困った顔を浮かべて村紗は続けた。より強く引き寄せられるのを白蓮は感じた。耳元に村紗の顔が近づく。

「何処か見透かしたようなきらいがありまして、ね…苦手なだけで、嫌いというわけではないのですが」
「仕様のないことです。多かれ少なかれ個人には苦手とする相手がいる、それだけのことですよ」
「そう言ってくれるとありがたいです、聖」

 顔をあげ礼と笑顔を向けるとさも自身のことのように感じてくれる彼女がいる。笑っていた。村紗は再び沈み溺れるような感覚に陥る。ひたりと水嵩が増す。先ほどから白蓮の香りが妙に甘ったるく感じる。ようやく少しくらいの息苦しさに気付いた。
 きゅぅ、と締め付けられる胸に、理由を見つけることは出来なかった。すれば成すことはなく、ならば気にせず白蓮へと意識を戻す。くるぶしに水嵩が至る。
 ただ名を、いつものように名を呼ばれただけだった。

「……水蜜?」

 しっとりと水が増す。

「ひじ、り」

 息苦しさがいきなり増した。驚いて胸をおさえ、余計に苦しかった。何、と疑問を感じる暇はなかった。

「水蜜、どうしたのですか、水蜜?」

 まるで溺れている時のような気がした。昔の記憶が痛みを伝えながら鮮明によみがえる。自身とともに沈んでいく船の破片を見つめながら深い深海へと墜ちる。苦しく、冷たく、深く、故に水面から差す光が厭に眩しくあたたかくて目を瞑った。ああ、思い出す。しかし違った。違う。それとはちがう。

「…聖、その本の下人は、やはり盗人になるんです」

 しとりしとりと水が満ちる。それに墜ちて、沈んで、溺れてしまえば決して生きては帰れない。甘い溺死をしてしまう。
 村紗はその水が腰に届く気がした。甘い香りがする。白蓮の体から漂う。水蜜、声がして、名を呼んで、一層に水嵩が増した。

「水蜜、みなみ…っ」
「『そうしなければ死んでしまう』、という理由で」

 ねぇ聖、と村紗はいつもの声で白蓮を呼ぶ。

「いま私は、溺れてしまいそうなのです」

 首筋に村紗の息がかかり、白蓮は少しだけの身震いをする。気付けば背中のジッパーが下げられていた。しかし白蓮は何もしなかった。村紗は知っている。白蓮は受け入れることしかしないことを。拒むことをしないことを。
 白く映えるうなじに唇を寄せる。村紗の胸の息苦しさが少しだけ和らぐ。唇を寄せた白蓮の肌はシルクのようになめらかで、村紗は恍惚に笑った。ひどく甘ったるく感じる。

「っ、ッ…みな、みつ……」
「敢えて理由を言うならば下人と同じですよ。こうしないと死んでしまう」

 肌を寄せるたびに、唇を寄せるたびに、息苦しさは和らいでいく。代わりに水嵩は増していった。
 気付けばもう、這い上がれないほどに沈んで溺れていた。
 それで良いと村紗は笑う。冷たい水に溺れるより、温かい白蓮に溺れるなら。
 そうして村紗は二度目の溺死を味わった。





▼ ▼
習作。どうにも後先考えないと展開が急ですね。
村紗白蓮が好きです。
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